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第866巻 佐川氏が喚問で安倍夫妻を庇うあまり露呈させた嘘と矛盾! など

2018 - 03/31 [Sat] - 21:58

第866巻 佐川氏が喚問で安倍夫妻を庇うあまり露呈させた嘘と矛盾! など

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安倍昭恵を官邸に入れ政府職員にした安倍晋三の憲法15条違反公職選挙法違反公金不正横領汚職犯罪

以下の池上の韓国ニュースを見て、

戦後日本森永財閥令嬢安倍昭恵が、
公職選挙を経た何の資格もないのに首相官邸の公務員を使役する総理代行として国政を私している公職選挙法違反日本国憲法15条違反の現安倍晋三自民党公明党連立政権と、

韓国の戦後財閥政商創価学会癒着政府との癒着談合密謀外交(これは外患誘致罪に当たるのではないかね?)がよくわかった。

日韓両国政府ともまさに戦後日本国憲法違反政府三権癒着談合拝金売国一神教法匪官憲弾圧詐欺による
国民虐待主権侵害略奪政治ですな(笑)

【実況】池上彰緊急スペシャル 知っているようで知らない韓国のナゾ【コメ付き】https://www.youtube.com/watch?v=Nyh-z7RnV7w

放送法は憲法29条違反である。

日本国憲法は仏法である。

佛弟子幣原喜重郎が昭和21年に作った第九条は「無怨能勝怨」そのものです。https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/d5149f5de51e6c774696cd433f1a857a#comment-list


そもそも「憲法」とは聖徳太子以来太陰暦日本語で仏法に帰依すると言う意味だから、

日本国憲法は仏教徒が帰依する釈尊の言葉即ちお経を昭和20年当時の日本人が使っていた日本語に翻訳した、
聖徳太子十七条憲法と同じほんとうの三宝帰依する「憲法」です。

十七条憲法は聖徳太子という仏弟子「天皇」が自ら発した詔勅ですが、

大日本帝国憲法は明治天皇が発した詔勅ではなく、
長州ファイブで渡英して耶蘇一神教基督教フリーメーソン信者となった非武士伊藤博文が、

聖徳太子以来仏弟子だった太陰暦日本古来の「天皇」という地位を、

万物の造物主絶対神(唯物悪魔)一神教の聖書と太陽暦をとりいれて「廃仏毀釈」して、

煩悩に迷う仏弟子に過ぎなかった天皇を「唯一絶対神」に置き換える捏造で作ったものです。

大日本帝国憲法は三宝に帰依せず仏法を守らないから、この憲法の「法」は仏法の「法」ではなく一神教のハムラビ法典の「法」である。

すなわち大日本帝国憲法は仏天子天皇の詔勅でもなければ仏法にも帰依していないから、全く「憲法」ではない。

仏教徒日本人を上下ともにいっぺんに欺く、七不衰法を破る仏国土内部で最も極悪の罪を犯した「転輪王の重臣」*が伊藤博文ですね。(*以下を参照)

ということで、今回は仏教聖典もろびとのためにで去年「株式日記と経済展望」に投稿したテキストを改行と補注と追補で推敲したテキストを次から投稿します。

日本国憲法「法庫」http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM

「あたらしい憲法の話」https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

併せて読んでみてください。

幣原喜重郎が昭和21年敗戦直後に明治以前の江戸時代仏國日本の天下のご政道七不衰法を復刻して聖徳太子以来の仏法に帰依する憲法を立てて、

無有大陸以来伝統の仏国土日本に新しい王「主権者国民菩薩常民」を君主として立憲建国するという、

仏弟子菩薩不退転の金剛力「一切衆生草木国土皆悉成仏 為せば成る」の強い意志すなわち菩薩の大誓願を感得覚悟することができましょう。
____________________

仏教聖典_なかま_第一章人のつとめ_第三節もろ人のために から。

https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/d5149f5de51e6c774696cd433f1a857a#comment-list
を推敲した。

仏教伝道協会http://www.bdk.or.jp/buy/bukkyoseiten.html
の和文仏教聖典(A6判,331p)¥540を本屋に注文(送料が節約できる)
______________


第三節 もろ人のために 

 一、(長阿含経第二、遊行経)
 ここに国家を栄えさせる七つの教えがある。

一つには、
国民はしばしば会合して政治を語り、
国防を厳にして自ら守り、

二つには、
上下心を一つにして相和し、
ともに国事を議し、

三つには、
国風を尊んでみだりにあらためず、
礼を重んじ義を尊び、

四つには、
男女の別を正し、
長幼の序を守って、
よく社会と家庭の純潔を保ち、

五つには、
父母に孝し、
師長に仕え、

六つには、
祖先の祭壇をあがめて祭儀を行い、

七つには、
道を尊び徳をあがめ、
徳の高い師について教えを仰ぎ、
厚く供養することである。

 どんな国でも、
この七つの教えをよく守って破ることがないならば、
その国の栄えることは疑いがなく、
外国の侮りを受けることはないであろう。


 二、(華厳経第三四、入法界品)
 昔、大光王は、自分の王道を次のように説いた。

 「自分の国家を治める道は、まず自分を修めることである。
自ら慈の心を養って、
この心をもって国民に臨み、
人びとを教え導いて心の垢を除き去り、
身と心を和らげて、
世の中の楽しみにまさる正しい教えの喜びを得させる。

 また、貧しいものが来たときには、蔵を開いて心のままに取らせる。
そしてこれを手がかりとして、すべての悪から遠ざかるように戒める。

 人びとは各々その心をもととして、見るところを異にする。
この城中の民にしても、この都を美しいと見るものもあれば、また汚いと見るものもある。
これは各々、その心、その環境がそうさせるのである。

 教えを尊び、心の正しい素直な人は、木石にも瑠璃の光を見るのであるが、
欲が深くて自分を修めることを知らない者は、どんな立派な御殿でもなお美しいと見ることはできない。

 国民の生活は、万事みなこのとおり、心がもとになっているから、
わたしは国を治める大もとを、
民にその心を修めさせることに置いている。」


 三、(金光明経第一二、四天王護国品)
 大光王のことばどおり、
政道の大もとは、
民にその心を修めさせることにある。

 この心を修めることはさとりの道に進むことであるから、
政治の上に立つ人は、まず仏の教えを信じなければならない。

 もし政治を行う人が、
仏を信じ、
教えを信じて、
慈悲深く徳のある人を敬い、
これに供養するならば、
敵もなく、
恨みもなく、
国家は必ず栄えるに違いない。

 そして、国が富み栄えるならば、
他の国を貪り攻めることもなく、
また他を攻める武器の必要もなくなるであろう。

 したがって国民も満足して楽しみを受け、
上下和らいでむつみあい、
善を増し徳を積んで互いに敬愛し喜び合うから、
いよいよ人は栄え、
寒さ暑さもととのい、
日も月も星も常の程度を失わず、
風雨が時に従うようになり、
こうしていろいろの災いも遠ざかるようになるであろう。


 四、(大薩遮尼犍子所説経)
 王たるものの勤めは、民を守ることにある。
王は民の父母であり、
教え(すなわち仏法)によって民を守るからである。
民を養うことは、父母が赤子を養うようなもので、
父母が赤子のことばを待たず、湿ったものを取り替えて新しい布を当てがうように、
いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう慈しみ養うのである。
まことに王は、民をもって国の宝とする。
これは、
民が安らかでなければ政道が立たないからである。

 だから、
王たるものは、民を憂えてしばらくも心を離さない。
民の苦楽を察し、
民の繁栄をはかり、
そのためには
常に水を知り、風、雨を知り、
実りの善悪を知り、
日照りを知り、
民の憂いと喜びを知り、
罪の有無と軽重、功績の有無などをよく知って、
賞罰の道を明らかにする。

 このように民の心を知って、
与えなければならないものは時をはかって与え、
取るべきものはよく量って取り、
民の利を奪わないよう、よく税を軽くして
民を安らかにする。

 王は力と権威によって民を守り、
このようにして
民の心になって民をよく見守るものが王と呼ばれる。

 
 五、(大薩遮尼犍子所説経)
 この世の中の王を転輪王というが、転輪王とはその家系が正しく、身分が尊くてよく四辺を統御し、また教えを守る(即ち仏法に帰依する)ところの王である。

 この王のゆくところには、
戦いもなく恨みもなく、
よく教え(仏法)によって
徳をしき、
民を安らかにして
邪と悪を下す。

 また転輪王は、
殺さず、
盗まず、
よこしまな愛欲を犯さず、
偽りを言わず、
悪口を言わず、
二枚舌を使わず、
むだ口を言わず、
貪らず、
瞋(いか)らず、
愚かでない。
この十善を行って民の十悪を去らせる。

 また、教え(即ち仏法の大慈悲)によって政治を正すから、
天下において思いのままになすことができ、
そのゆくところには戦いがなく、
恨みもなく、
互いに相犯すこともない。
したがって、
民は和らぎ、
国は安らいで、
民にいよいよその生を楽しませることができる。
だから教えを守る(即ち仏法に帰依する)王といわれるのである。

 また転輪王は、王の中の王であるから、
もろもろの王はみなその徳(大慈悲)を喜び、
その教え(すなわち大慈悲仏法)に従って各々その国を治める。

 このように転輪王は、もろもろの王をして各々その国に安んじさせ、正しい教えのもとに王の任を果たさせる。


 六、(大薩遮尼犍子所説経)
 また王は罪を裁決するにも、慈悲の心(すなわち仏法)をもととしなければならない。
明らかな智慧をもってよく観察し,
五つの原則をもってよく処置しなければならない。

 五つの原則というのは、

 一つには、実によって不実によらない。
これは、事実を調べて、その事実によって処断することである。

 二つには、時(じ)によって非時(ひじ)によらない。
これは、王に力のあるときが時(じ)であり、力のないときが非時(ひじ)である。
力のあるときは罰しても効果があるが、
力のないときには罰しても混乱があるだけであるから、
時を待たなければならない。

 三つには、動機によって結果によらない。
これは、罪を犯すものの心に立ち入って、
それが故意であるか故意でないかを見きわめ、
故意のことでなければ許すのをいう。

 四つには、親切なことばによってあらいことばによらない(すなわち和顔愛語)。
これは、
罪が規則のどれに当たるかを明らかにして罪以上の罰を与えないようにし、
また柔らかい優しいことばで諭してその罪を覚(さと)らせるのをいう。

 五つには、慈悲の心によって瞋(いか)りの心によらない。
罪を憎んで人を憎まず、
慈悲の心をもととして、
罪を犯したものにその罪を悔いあらためさせるように仕向けるのである(すなわち和顔愛語)。


 七、(大薩遮尼犍子所説経)
 もし王の重臣であって
国家の大計を思わず、
ただ自分の利ばかりを求め、
賄賂を取って政道を曲げ、
人民の気風を頽廃させるならば、
人民は互いに相欺くようになり、
強い者は弱い者をしいたげ、
貴い者は卑しい者を軽んじ、
富んだ者は貧しい者を欺き、
曲がった道理をもって正しいものを曲げることになるから、
災いがいよいよ増長するようになる。
 
 すると忠実な重臣は隠れ退き、
心あるものも危害を怖れて沈黙し、
ただへつらう者だけが政権をとって、
みだりに公権を用いて私腹を肥やし、
民の貧しさは少しも救われないようになる。

 このようになると、
政令は行われなくなり、
政道はまったくゆるんでしまう。

 このような悪人こそ、民の幸福を奪う盗賊であるから、
国家のもっとも大きな悪賊といわなければならない。
なぜなら、上を欺き下を乱して、一国の災いの源となるからである。
王はこのような者を、もっとも厳しく処罰しなければならない。

 また教えによって政治をしく王の国において、
父母の生育の恩を思わず、
妻子にだけ心を傾けて父母を養わず、
あるいはまた、
父母の所有を奪って
その(父母の)教えに従わないものは、
これをもっとも大きな悪の中に数えなければならない。

 なぜなら、
父母の恩はまことに重くて、
一生心を尽くして孝養しても、
し尽くせないものだからである。
主君に対して忠でなく、
親に対して孝でない者は、
もっとも重い罪人として処罰しなければならない。

 また教えによって政治をしく王の国の中においては、
仏と教えと教団(仏法僧)の三宝に対して信ずる心がなく、
寺を壊し経を焼き、
僧侶を捕らえて駆使するなど
仏の教えを破る行いをする者は、
もっとも重い罪の者である。

 なぜなら、
これらはすべての善行のもとである民の信念を覆すものだからである。
これらの者は、みなすべての善根を焼き尽くして、
自ら自分の穴を掘るものである。

 この三種の罪がもっとも重く、
したがってもっとも厳しく処罰しなければならない。
その他の罪は、これらに比べると、
なお軽いといわなければならない。」


 八、(大薩遮尼犍子所説経)
 正しい教えを守る王に対して逆らう賊が起こるか、
あるいは外国から攻め侵すものがあるときは、
正しい教えの王は三種の思いを持たなければならない。

 それは、
第一には、
逆賊または外敵は、ただ人を損い人民を虐げることばかりを考えている。
自分は武力をもって民の苦しみを救おう。

 第二には、
もし方法があるなら、
刃(やいば)を動かさないで、
逆賊や外敵を平らげよう。

 第三には、
敵をできるだけ生け捕りにして、
殺さないようにし、
そしてその武力をそごう。

王はこの三つの心を起こして、
それから後に部署を定め訓令を与えて戦いにつかせる。

 このようにするとき、
兵はおのずから王の威徳をおそれ敬ってよくその恩になずき、
また戦いの性質をさとって王を助け、
そして王の慈悲が後顧の憂いをなくすことを喜びながら、
王の恩に報いるために戦いに従うから、
その戦いはついに勝利を得るだけでなく、
戦いもかえって功徳となるであろう。


______________________
(第三節了:仏教聖典の本文に改行や(註)を挿入し校正した)

幣原喜重郎が日本国憲法に籠めた仏法すなわちお経の現代日本語訳

仏教聖典から日本国憲法の原典である経文を記します。

仏教聖典_なかま_第三章 仏国土の建設

第一節、むつみあうなかま
 
 一、(大般涅槃経・パーリ、増支部三―一一八)

 広い暗黒の野原がある。
何の光もささない。
そこには無数の生物がうようよしている。
 しかも暗黒のために互いに知ることがなく、めいめいひとりぼっちで、さびしさにおののきながらうごめいている。
いかにも哀れな有様である。

 そこへ急に光がさしてきた。
すぐれた人が不意に現われ、手に大きなたいまつをふりかざしている。
真暗闇の野原が一度に明るい野原となった。

 すると、今まで闇を探ってうごめいていた生物が立ち上がってあたりを見渡し、
まわりに自分と同じものが沢山いることに気がつき、驚いて喜びの声をあげながら、
互いに走り寄って抱きあい、にぎやかに語りあい喜びあった。

 いまこの野原というのは人生、暗黒というのは正しい智慧の光のないこと(無明*)である。
心に智慧の光のないものは、互いに会っても知り合い和合することを知らないために、独り生まれ独り死ぬ。
ひとりぼっちである。
ただ意味もなく動き回り、さびしさにおののくことは当然である。

 「すぐれた人がたいまつをかかげて現われた。」 とは、仏*が智慧の光をかざして、人生に向かったことである。

 この光に照らされて、人びとは、はじめておのれを知ると同時に他人を見つけ、驚き喜んでここにはじめて和合の国が生まれる。

 幾千万の人が住んでいても、互いに知りあうことがなければ、社会ではない。

 社会とは、そこにまことの智慧が輝いて、互いに知りあい信じあって、和合する団体のことである。

 まことに、和合が社会や団体の生命であり、また真の意味である。


 二、(大般涅槃経・パーリ、増支部三―一一八)

 しかし、世の中には三とおりの団体がある。

一つは、権力や財力の備わった指導者がいるために集まった団体、
二つは、ただ都合のために集まって、自分たちに都合よく争わなくてもよい間だけ続いている団体、
三つは、教えを中心として和合を生命とする団体である。

 もとよりこの三種の団体のうち、まことの団体は第三の団体であって、この(和合の)団体は、
一つの心を心として生活し、その中からいろいろの功徳を生んでくるから、
そこには平和があり、喜びがあり、満足があり、幸福がある。

 そして、ちょうど山に降った雨が流れて、谷川となり、次第に大河となって、ついに大海に入るように、
いろいろの境遇の人びとも、同じ教えの雨に潤されて、次第に小さな団体から社会へと流れあい、
ついには同じ味のさとりの海へと流れこむのである。

 すべての心が水と乳のように和合して、そこに美しい団体が生まれる。

 だから正しい教えは、実にこの地上に、美しいまことの団体を作り出す根本の力であって、
それは先に言ったように、互いに見いだす光であるとともに、
人びとの心の凹凸を平らにして、和合させる力でもある。

 このまことの団体は、このように教えを根本の力とするから、教団*(僧伽サンガ)といい得る。

 そしてすべての人は、みなその心をこの教えによって養わなければならないから、
教団は道理としては、地上のあらゆる人間を含むが、
事実としては、同信の人たちの団体である。


 三、(パーリ、相応部)
 
 この事実としての団体(教団僧伽サンガ)は、教えを説いて在家に施すものと、これに対して衣食を施すものと、
両者相まって、教団を維持し拡張し、教えの久しく伝わるように努めなければならない。

 それで、教団の人は和合を旨とし、その教団の使命を果たすように心がけなければならない。
僧侶は在家を教え、在家は教えを受け教えを信じ(信奉す)るのであり、
したがって両者に和合があり得るのである。

 互いに和らぎむつみあって争うことなく、同信の人とともに住む幸せを喜び、慈しみ交わり、
人びとの心と一つになるように努めなければならない。


 四、(パーリ、律蔵大品、一〇-一-二・長阿含経第二、遊行経)

 ここに教団和合のための六つの原則(すなわち六事行道の法)がある。
第一に、慈悲*のことばを語り、
第二に、慈悲の行いをなし、
第三に、慈悲の意(こころがけ)を守り、
第四に、得たものは互いに分かちあい、
第五に、同じ清らかな戒を保ち、
第六に、互いに正しい見方を持つ。

 このうち、正しい見方(慈眼すなわち和顔愛語)が中心となって、他の五つを包むのである。

 また次に、教団を栄えさせる二種の七原則(七不衰法)がある。
(一)しばしば相集まって教えを語り合い、
(二)上下相和して互いに敬い、
(三)教えをあがめ尊んで、みだりにこれをあらためず、
(四)長幼相交わるとき礼をもってし、
(五)心を守って正直と敬いを旨とし、
(六)閑(しず)かなところにあって行いを清め、人を先にし、自分を後にして道に従い、
(七)人びとを愛し、来るものを厚くもてなして、病めるものは大事に看護する。
この七つを守れば教団は衰えない。

次に、
(一)清らかな心を守って雑事の多いのを願わず、
(二)慾なきを守って貪らず、
(三)忍辱を守って争わず、
(四)沈黙を守って言わず、
(五)教えを守っておごらず、
(六)一つの教えを守って他の教えに従わず、
(七)倹約を守って衣食に質素であること。
この七つを守れば教団は衰えない。


 五、(パーリ、律蔵大品、一〇-一-二)

 前にも言ったように、教団は和合を生命とするものであり、和合のない教団は教団でないから、
不和の生じないよう、生じた場合は、速やかにその不和を除き去るように努めなければならない。

 血は血によって清められるものではなく、恨みは恨みによって報いられるものではない。
ただ恨みを忘れることによってなくすことができる。


 六、(パーリ、律蔵大品、一〇-一-二)

 昔、長災王という王があった。
隣国の兵を好むブラフマダッタ王に国を奪われ、妃と王子とともに隠れているうちに、敵に捕らえられたが、王子だけは幸いにして逃れることができた。

 王が刑場の露と消える日、王子は父の命を救う機会をねらったが、ついにその折りもなく、無念に泣いて父の哀れな姿を見守っていた。

 王は王子の姿を見つけて、
「長く見てはならない。短く急いではならない。
恨みは恨みなきによってのみ静まるものである。」
と、ひとり言のようにつぶやいた。

 この後王子は、ただいちずに復讐の道をたどった。
機会を得て王家にやとわれ、王に接近してその親任を得るに至った。

 ある日、王は猟に出たが、王子は今日こそ目的を果たさなければならないと、ひそかにはかって王を軍勢から引き離し、ただひとり王について山中を駆け回った。
王はまったく疲れはてて、親任しているこの青年のひざをまくらに、しばしまどろんだ。

 いまこそ時が来たと、王子は刀を抜いて王の首に当てたが、その刹那父の臨終のことばが思い出されて、いくたびか刺そうとしたが刺せずにいるうちに、
突然王は目を覚まし、いま長災王の王子に首を刺されようとしている恐ろしい夢を見たと言う。

 王子は王を押さえて刀を振りあげ、今こそ長年の恨みを晴らす時が来たと言って名のりをあげたが、
またすぐ刀を捨てて王の前にひざまずいた。

 王は長災王の臨終のことばを聞いて大いに感動し、ここに互いに罪をわびて許しあい、
王子にはもとの国を返すことになり、その後長く両国は親睦を続けた。

 ここに「長く見てはならない。」というのは、恨みを長く続かせるなということである。
「短く急いではならない。」というのは、友情を破るのに急ぐなということである。

 恨みはもとより恨みによって静まるものではなく、恨みを忘れることによってのみ静まる。

 和合の教団においては、終始この物語の精神を味わうことが必要である。

 ひとり教団ばかりではない。世間の生活においても、このこと(和合)はまた同様である。



第二節 仏の国

 一、(パーリ、相応部・中陰経)

 前に説いてきたように、教団が和合を主として、その教えの宣布という使命を忘れないときには、
教団は次第にその円周を大きくして、教えが広まってゆく。

 ここに教えが広まるというのは、心を養い修める人が多くなってゆくことであり、
いままでこの世の中を支配した無明*と愛欲の魔王が率いる貪りと瞋(いか)りと愚かさとの魔軍が退いて
ここに智慧*と光明と信仰と歓喜とが、その支配権を握ることになる。

 悪魔の領土は欲であり、闇であり、争いであり、剣であり、血であり、戦いである。
そねみ、ねたみ、憎しみ、欺き、へつらい、おもねり、隠し、そしることである。

 いまそこに、智慧が輝き、慈悲*が潤い、(信心)信仰の根が張り、歓喜の花が開き、
悪魔の領土は、一瞬にして仏*の国となる。

 さわやかなそよ風や、一輪の花が春の来たことを告げるように、
ひとりがさとりを開けば、草木国土、山河大地、ことごとくみな仏の国となる。

 なぜならば、心が清ければ、そのいるところもまた清いからである。


 二、(維摩経)

 教えの布(し)かれている世界では、人びとの心が素直になる。
これはまことに、あくことのない大悲によって、常に人びとを照らし守るところの仏の心に触れて、
汚れた心も清められるからである。

 この素直な心は、同時に
深い心、
道にかなう心、
施す心、
戒を守る心、
忍ぶ心、
励む心、
静かな心、
智慧の心、
慈悲の心、となり、
また方便をめぐらして、人びとに道を得させる心、ともなるから、
ここに仏の国が、立派にうち建てられる。

 妻子とともにある家庭も、立派に仏の宿る家庭となり、
社会的差別の免れない国家でも、仏の治める心の王国となる。

 まことに、欲にまみれた人によって建てられた御殿が仏の住所ではない。
月の光が漏れこむような粗末な小屋も、素直な心の人を主とすれば、仏の宿る場所となる。

 ひとりの心の上にうち建てられた仏の国は、同信の人を呼んでその数を加えてゆく。
家庭に村に町に都市に国に、最後には世界に、次第に広がってゆく。

 まことに教えを広めてゆくことは、この仏の国を広げてゆくことにほかならない。


 三、(大般涅槃経・阿弥陀経)

 まことにこの世界は、一方から見れば、悪魔の領土であり、欲の世界であり、血の戦いの場ではあるが、
この世界において、仏のさとりを信ずる者は、この世を汚す血を乳とし、欲を慈に代え、
この世を悪魔の手から奪い取って、仏の国となそうとする。

 一つの柄杓を取って、大海の水を汲み尽くそうとすることは、容易ではない。
しかし生まれ変わり死に変わり、必ずこの仕事を成しとげようとするのが、仏を信ずる者の心の願いである。

 仏は彼岸に立って待っている。
彼岸はさとりの世界であって、永久に、貪りと瞋りと愚かさと苦しみと悩みとのない国である。
そこには智慧の光だけが輝き、慈悲の雨だけが、しとしとと潤している。

 この世にあって、悩む者、苦しむ者、悲しむ者、または、教えの宣布に疲れた者が、
ことごとく入って憩い休らうところの国である。

 この国は、光の尽きることのない、命の終わることのない、ふたたび迷いに帰ることのない仏の国である。

 まことにこの国は、さとりの楽しみが満ちみち、花の光は智慧をたたえ、鳥のさえずりも教えを説く国である。
まことにすべての人びとが最後に帰ってゆくべきところである。


 四、(無量寿経・維摩経)

 しかし、この国は休息のところではあるが、安逸のところではない。
その花の台(うてな)は、いたずらに安楽に眠る場所ではない。
真に働く力を得て、それをたくわえておくところの場所である。

 仏の仕事は、永遠に終わることを知らない。
人のある限り、生物の続く限り、また、それぞれの生物の心がそれぞれの世界を作り出している限り、そのやむときはついにない。

 いま仏の力によって彼岸の浄土に入った仏の子らは、再びそれぞれ縁ある世界に帰って、仏の仕事に参加する。

 一つの燈(ともしび)がともると、次々に他の燈に火が移されて、尽きるところがないように、
仏の心の燈も、人びとの燈に次から次へと火を点じて、永遠にその終わるところを知らないであろう。

 仏の子らも、またこの仏の仕事を受け持って、人びとの心を成就し、仏の国を美しく飾るため、
永遠に働いてやまないのである。



第三節 仏の国をささえるもの

 一、(パーリ、法句經註一・増一阿含経三四-二)
 ウダヤナ王の妃シャマヴァティーは、あつく世尊に帰依していた。
 妃は王宮の奥深くにいて外出しなかった。
侍女のウッタラーは、記憶力がよくて、いつも世尊の法座につらなり、教えを受けて世尊の言葉のとおりを妃に伝え、
これによって、妃の信仰信心は、いよいよその深さを増したのであった。

 第二の妃、マーガンディヤは、シャマヴァティーをねたんでこれを殺そうと企て、ウダヤナ王にいろいろ中傷した。
ついに心を動かした王は、シャマヴァティーを殺そうとした。

 そのときシャマヴァティーは、従容として王の前に立ったが、王は妃の慈悲に満ちた姿に打たれて矢を放つこともできず、ついに心が解けて、妃にその粗暴なふるまいをわびた。

 マーガンディヤは、いっそうの怒りを増して、ついに王の留守の間に、悪者と謀ってシャマヴァティーの奥殿に火を放った。
妃はあわて騒ぐ侍女たちを教え励まして、驚きも恐れもせずに、世尊の教えに生きながら従容として道に殉じた。
ウッタラーもまた、火の中で死んだ。

 シャマヴァティーは、在家の信女のうち慈心第一、ウッタラーは多聞第一とたたえられた。


 二、(増一阿含経三四-二・パーリ、法句經註)
 釈迦族の王、マハーナーマは世尊のいとこであるが、世尊の教えを信ずる心が至ってあつく、誠を尽くして帰依する信者であった。

 コーサラ国の凶悪な王、バイルーダカ王が釈迦族を攻め滅ぼしたとき、
マハーナーマは出ていって王に会い、城民を救いたいと願ったが、凶悪な王が容易に許さないのを知って、
せめて自分が池の中に沈んでいる間だけ、門を開いて自由に城民を逃げさせてほしいと頼んだ。

 王は、人間の水中に沈んでいる間だけのことなら、わずかな時間であるからと考えて、これを許した。

 マハーナーマは池に沈み、城門は開かれ、人びとは喜んで逃げのびた。
しかし、いつまでたってもマハーナーマは浮かび上がらなかった。
彼は池に入って髪を解き、柳の根に結びつけ、自らを殺して人びとを救ったのであった。


 三、(増一阿含経五-一・有部律破僧事一〇)
 ウトパラバルナー(蓮華色)は神通第一の比丘尼であって、マウドガルヤーナヤ(目連)に比べられる人であり、
多くの比丘尼を引き連れて常に教化し、比丘尼の中のすぐれた教導者のひとりであった。

 デーヴァダッタ(提婆達多だいばだった)がアジャータシャトル(阿闍世あじゃせ)王をそそのかして、世尊に対して反逆を企てたが、
後、王が世尊に帰依してデーヴァダッタを顧みないようになり、城門に至ったがさえぎられて入ることができず、門前にたたずんでいたとき、
おりから門を出てくるウトパラバルナーを見て、にわかに怒り出し、その大力にまかせてこぶしをあげて頭を打った。

 ウトパラバルナーは痛みを忍んで僧坊に帰ったが、弟子たちの驚き悲しむのを慰めて
「姉妹よ、人の命ははかられない。
ものみなすべて無常*であり、無我*である。
さとりの世界ばかりが、静かであって頼るべきところである。
努め励んで道を修めるように。」
と教え、静かに死についた。


 四、(鴦掘摩経)
 かつて殺人鬼として、多くの人びとの命をあやめ、世尊に救われて仏弟子となったアングリマールヤ(指鬘)は、
その出家以前の罪のために、托鉢の途上で、人びとの迫害を受けた。

 ある日、町に入って托鉢し、恨みのある人びとに傷つけられて、全身血にまみれながら、
やっと僧坊に帰って、世尊の足を拝して喜びのことばをのべた。

 「世尊、わたくしはもと、無害という名でありながら、愚かさのために、多くの人の命を損ない、
洗えども清まらない血の指を集めたために、指鬘の名を得ましたが、

 いまでは三宝に帰依してさとりの智慧を得ました。
馬や牛を御するには、むちや綱を用いますが、
世尊は、むちも綱もかぎも用いずに、わたくしの心をととのえて下さいました。

 今日わたくしは、わたくしの受けるべき報いを受けました。
生も願わず死も待たずに、静かに時の至るのを待ちます。」


 五、(増一阿含経二六)
 マウドガルヤーナヤ(目連)はシャーリプトラ(舎利弗)と並び称せられた世尊の二大弟子のひとりであった。
世尊の教えが水のように人びとの心に浸みこむのを見て、異教の人びとがねたみを起こし、いろいろな妨げをした。

 しかし、どんな妨げも、まことの教えの広まってゆくのをとめることはできないで、
異教の人びとは、世尊の手足をもぎ取ろうとして、目連をねらった。

 一度ならず二度までも、その人びとの襲撃を避け得た目連も、ついに三度目に
大勢の異教者に取りまかれて、その迫害を受けることとなった。

 目連は、骨も砕け肉もただれ、暴虐の限りを静かに受け忍んで、
さとりの心に何のたじろぎもなく、平和な心で死についた。


仏教伝道協会出版 仏教聖典はここまでで 了


憲法九条は「無怨能勝怨」である。

「無怨能勝怨」は2600年前から世界中の仏教徒が釈尊の説法により学び知っているインド佛教の真髄なので、

無有(ムー)大陸日本人仏教徒幣原喜重郎が仏教徒山崎精華のお経の日本語訳「佛陀を繞りて」を、
昭和2年出版と同時に読了したことは疑う余地ありません。

そしてのちになって昭和21年戦後日本国憲法を幣原が起草したさい、
幣原の心中に第九条すなわちこの山崎精華訳「無怨能勝怨」があったことも断言できます。

インドではセイロン島の仏教徒パール判事が極東軍事裁判でこの「無怨能勝怨」の教えのもと
日本に対する戦争犯罪責任追及をインドは求めないと明言しました。

「無怨能勝怨」は広島原爆の碑の碑文です。
「安らかに眠って下さい 過ちは二度と繰り返しませんから」
親鸞聖人浄土真宗安芸門徒士農工商四民先祖代々仏教徒の我々のご先祖様はみな、
原爆無差別虐殺の被害を受けてもその恨みを「無怨能勝怨」の教えのとおり水に流し去って、
アメリカも日本も全世界もともに将来「二度と(原爆投下という)過ちを」冒さないよう
「和を以て貴しと」なして人びとがみな七不衰法の教えに従って、
常にともに集まって「政治を語り合う」和合の仏国土を地上に打ち建てようという
仏弟子真宗安芸門徒菩薩の大誓願が、この平和公園原爆碑文そのものです。

そして「憲法」という語句はこの世で最初に聖徳太子が作りました。
飛鳥時代に定めた17条憲法は、「あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」とあるように、
憲法の「法」は法律ではなく仏法の「法」、すなわちダルマすなわちこの世の真理すなわち「仏の大慈悲」であって、
それは不立文字、たださとるのみという不可知の覚知涅槃静寂をさし、
憲法の「憲」は帰依して行じるという意味の漢字をあてて、
日本人聖徳太子法皇大王即ち天皇が日本語で「これより以後日本の国教を佛教として国を治める」と
詔勅みことのりしたものが「和を以て貴しとなす」にはじまる17条憲法です。
よって聖徳太子以後日本の正統の天皇はすべて三宝に帰依して仏門に入るしきたりとなった。
斉明天武持統は仏門に入っていますが一神教神道の天智は入っていない。
それ以後の聖武孝謙らは聖徳太子法皇天皇の仏天子を継ぐ後継者だが天智の後裔桓武にいたって
また一神教神道権力者による聖徳太子佛教への弾圧が再開しています。
もちろん権力者を除く庶民はみな仏教徒です、いつの時代も。
ゆえに日本では常に民衆が佛教に帰依してきました。
江戸時代で言えば士農工商四民がみな佛教に帰依しており、そもそも渡来人の天皇(穢多)と非人(仏教人道に悖る非佛教徒)が一神教です。
ちなみに天皇が万世一系ではないことを都立高校国語教師福永晋三氏が完全に証明しました。
https://www.youtube.com/watch?v=DfbYdICtMdk
https://www.youtube.com/watch?v=gB7pADF2EJU
そのほか福永晋三氏のたくさんのユーチューブがこれを証明しています。

「無怨能勝怨」「狂指鬘」「愚かな槃特」の昭和2年日本語訳ではない戦後日本語訳が仏教聖典で読めます。
仏教徒幣原喜重郎起草日本国憲法のもとになった七不衰法もあります。

一神教唯物拝金悪魔フリーメーソンイスラエル(NHK)に支配操縦された安倍晋三田布施政権の愚かさの根源がわかると思います(笑)

「無怨能勝怨」「狂指鬘」「愚かな槃特」の山崎精華訳は以下に投稿した。
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/fbbd311e54f82f6c5790ebf30f538f48#comment-list

「安倍昭恵を官邸に入れ政府職員にした安倍晋三の憲法15条違反公職選挙法違反公金不正横領汚職犯罪」

masukomi-kyounin.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-8cde.html#comment-116302834


以下の池上の韓国ニュースを見て、

戦後日本森永財閥令嬢安倍昭恵が、
公職選挙を経た何の資格もないのに首相官邸の公務員を使役する総理代行として国政を私している公職選挙法違反日本国憲法15条違反の現安倍晋三自民党公明党連立政権と、

韓国の戦後財閥政商創価学会癒着政府との癒着談合密謀外交(安倍政権発足時黒田日銀が200兆円建設国債を引き受けた日韓海底トンネルを麻生セメントが主体になって受注する―これは外患誘致罪に当たるのではないかね?)がよくわかった。

日韓両国政府(CIA&KCIA)ともまさに戦後日本国憲法違反政府三権癒着談合拝金売国一神教法匪官憲弾圧詐欺による
国民虐待主権侵害略奪政治ですな(笑)

日鮮両国政府は戦後ずっとイスラエルモサド首領NHKとイスラエルモサド北朝鮮統一教会の戦後フリーメーソンカルト政府間の日本国憲法違反法匪談合密約政教一致拝金詐欺官権力弾圧で主権者国民の主権を侵害し暴虐を加え略奪するカルト政治を行ってきたから、こちらも日韓と同じ穴のムジナですね。

ちなみに安倍総理始め多くの国会議員が政治資金などの供与を受けているパチンコ業界は、
北朝鮮へ日常地下銀行を通じて外為法違反や憲法27条*30条*違反の納税義務放棄で送金しているようですね(笑)


【実況】池上彰緊急スペシャル 知っているようで知らない韓国のナゾ【コメ付き】https://www.youtube.com/watch?v=Nyh-z7RnV7w



_____________日本国憲法_________________________

*第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。


**第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
労働基準法
3 児童は、これを酷使してはならない。


第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
労働組合法

第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。


**第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

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私は普通の老人(男)ですが、戦前を思わせるようなテレビ新聞の報道に自由と民主主義の危機を感じて、個人的なリンク集を作りながら勉強しています。

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